
侘びとは耐え忍ぶ心
山上宗ニの狂歌を取り上げている
「大井川くいぜにとまる山がらす鵜のまねすとも魚は取じな」
「茶人が月給取りになるなよ、同時に自己をもののしっている様な歌で有ります。」とある。
立花大亀老師の話はなかなか骨があって興味深いです。
茶の湯の実態についても以下の通り。痛烈です。


(今から約40年前に喝破しておられるのです)
侘びを忘れた現代の茶人達に警笛を鳴らしながら、だいぶ昔にお亡くなりになられました。
何度も書きますが、侘び茶は宗旦まで。宗旦自身の極貧に耐えられず三人の息子達を背に腹はかえられず、武家に士官させた時点で、茶の湯は武家茶となり侘び茶では無くなっていった。
士官のいきさつについては、先に紹介してる井ノ部康之氏の「利休その後、、」に詳しく書かれてますのでご一読を。