武野紹鴎の「紹鴎遺文」 - 藤庵の日記(茶の湯その他) teaceremonytouan

一椀のお茶を通して直心の交わりをいたしたいと願っています。手持ちの茶道具のほとんどは手づからのもので名物とか高価な道具はございません。丿貫の様な極侘びの茶です。お楽しみいただければ幸いです。ブログの記事には茶の湯の他日々の事など自ら記録として書き留めている事柄もございます。

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藤庵 teaceremonytouan

Author:藤庵 teaceremonytouan
茶の湯に関係することを主に書いてます。
「茶の湯は総合芸術」と言われますが、私はいろんな書画、陶芸工芸の貴重な作品をありがたく使用させていただいてるという謙虚な姿勢が必要だと思います。

「侘び」については、利休の侘びよりも西行や鴨長明や芭蕉の侘びをめざしてます。いわゆる「極侘数寄者」として。

このほか、自作の日本画や工芸作品、またアクアリウムなども掲載しています。

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武野紹鴎の「紹鴎遺文」

皆様へのメッセージとして、武野紹鴎遺文を掲載いたします。

武野紹鴎門弟への法度 『茶道古典全集 第三巻』淡交新社 昭和35年11月 「紹鴎遺文」西堀一三)〔原文〕 
一 茶の湯は深切に交る事



一 禮儀正敷和らかにいたすべき事



一 他會の批判申間敷事



一 高慢多くいたす間敷事



一 人の所持の道具所望申間敷事



一 道具を專に茶の湯いたし候は甚だ不宜事



一 會席は珍客たりとも茶の湯相應に一汁三菜に過べからざる事



一 数奇者は捨れたる道具を見立て茶器に用候事、况や家人をや



一 茶の湯者の茶人めきたるはことの外にくむこと



一 数奇者といふは隱遁の心第一に侘て、仏法の意味をも得知り、和歌の情を感じ候へかし



一 淋敷は可然候、此道に叶へり、きれいにせんとすれば結構に弱く、侘敷せんとすればきたなくなり、二つともさばすあたれり、可慎事



一 客の心に合ぬ茶の湯すましき也、誠の數奇にあらず、我が茶の湯と言所を心得專要、又、客に手をとらする事あしく候




 

内容について
紹鴎の人柄を良く表しており、彼が京都から堺に帰り茶の湯の道に専念する様になった頃、その門に入る人に示したとされる。


1、深切に交わること
興亡盛衰を人は繰り返しているとしても、それよりも、人間の生活の奥にあるものを思い、深切に人に交わる事によって「あたたか」なる思いを感じることこそが、世に生くる人の心を救うものと考えている。






2、道具を専に茶の湯いたし候は
本来の趣旨としてよき道具を持つことは大切なことであっても、後にはその道具に捕らわれ、それを主にして茶をすることはいけないと紹鴎は考えた。


 

3、珍客なりとも一汁三菜
一汁三菜ついて、利休より前に紹鴎が既に、世の二の膳、三の膳を出す風習について改めてようとしていた事がわかる。


 

4、茶の湯者の茶人めきたるは
山上宗二は、ここに言う茶の湯者とは、茶の師匠をする者であると言っている。道を知る事と世を渡る術とは別で、世を渡る術となる時には、自ら濁りが現れるのを避け得ないと言う。
同じ事を利休が常に思い、「世わたるすべとなるぞかなしき」の歌言葉を常に口誦していたと山上宗二も語っている。


 

5、隠遁の心第一に
人に教え道をとくのでなく、また、茶人めくのではなく紹鴎はただ自ら(隠遁の心第一にと)願うのみであった。


以下略


いつの時代も変わらないですね。。。
茶の湯は、侘び数寄といいながら、道具に溺れ、地位と名声、財力にこだわり、他人と比較することによっておのれを測る。ここに武野紹鴎が遺文として残したということは、昔も、ある意味全く反対のことがまかり通ていたということにほかならない。

茶湯者、数寄者として常に自らを戒めてゆきたいと思い掲載しました。

江戸時代には、時々利休に帰れという茶湯者も出てきますが、私は侘びの基礎は紹鴎であると信じています。

利休は時の権力に近づきすぎてもはや侘びではなくなっていた。

もちろん、その侘びへの気持ちは常に有ったかも知れませんが。

茶の湯は常に華美への危険性を孕んでいる。茶の湯をたしなむことをステータスと考える一部の人間がなくならないかぎりその傾向はこれからも続くのかも知れません。