相変わらずの臨書

高野切
茶道雑誌昭和45年10月号に綾村担園氏による高野切書風の意義と言う投稿があったので興味深く読まさせていただいた。
冒頭「ちかごろの流行している草仮字の書道は素直さを忘却してしまっています。」とはじまるのが興味深い。
50年隔てた今も、これは、常々僕が思っていた事。
現代書家の展覧会に行くと自己陶酔型の書を見せつけられます。
大きな団体の書家にしても散見する。
そう言う事を知った上で「高野切」に当たると、本当に心から書の美しさに触れることが出来ると思います♪
僕の様に高齢になると、巷のカルチャーセンターの先生に付くより自分でひたすら高野切原書を臨書した方が余程マシだとつくづく思います。


高野切
茶道雑誌昭和45年10月号に綾村担園氏による高野切書風の意義と言う投稿があったので興味深く読まさせていただいた。
冒頭「ちかごろの流行している草仮字の書道は素直さを忘却してしまっています。」とはじまるのが興味深い。
50年隔てた今も、これは、常々僕が思っていた事。
現代書家の展覧会に行くと自己陶酔型の書を見せつけられます。
大きな団体の書家にしても散見する。
そう言う事を知った上で「高野切」に当たると、本当に心から書の美しさに触れることが出来ると思います♪
僕の様に高齢になると、巷のカルチャーセンターの先生に付くより自分でひたすら高野切原書を臨書した方が余程マシだとつくづく思います。
