#四季の茶の湯#山下恵光
何度も読み直している本が数冊有ります。これもその一つ。
「点前の変化をいろいろ習い取って行くことがお茶の心を深めて行くものだと錯覚することがある。その点前をするのは美味しいお茶を差し上げる事が目的であって、点前をする事はその手段である事を見失ってしまう方が出てくる。(中略)茶の湯のもてなしとは究極には自宅でなされるものであって、借りた茶室だとか他人の座敷ではとてもその思いは届きにくいものである。」
(私見 )棚物など点前の伝授に終始するのは如何なものか、と訴えているように受け止めましたね。
多分、それだけでも10年は弟子をつなぎとめれるでしょう。しかし、そんな事だけに終始した弟子が、やがて教える立場になった時が怖い。
何度も読み直している本が数冊有ります。これもその一つ。
「点前の変化をいろいろ習い取って行くことがお茶の心を深めて行くものだと錯覚することがある。その点前をするのは美味しいお茶を差し上げる事が目的であって、点前をする事はその手段である事を見失ってしまう方が出てくる。(中略)茶の湯のもてなしとは究極には自宅でなされるものであって、借りた茶室だとか他人の座敷ではとてもその思いは届きにくいものである。」
(私見 )棚物など点前の伝授に終始するのは如何なものか、と訴えているように受け止めましたね。
多分、それだけでも10年は弟子をつなぎとめれるでしょう。しかし、そんな事だけに終始した弟子が、やがて教える立場になった時が怖い。