看羊録を読んで その2 - 藤庵の日記(茶の湯その他) teaceremonytouan

一椀のお茶を通して直心の交わりをいたしたいと願っています。手持ちの茶道具のほとんどは手づからのもので名物とか高価な道具はございません。丿貫の様な極侘びの茶です。お楽しみいただければ幸いです。ブログの記事には茶の湯の他日々の事など自ら記録として書き留めている事柄もございます。

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藤庵 teaceremonytouan

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茶の湯に関係することを主に書いてます。
「茶の湯は総合芸術」と言われますが、その意味は、僕はいろんな書画、陶芸工芸の貴重な作品をありがたく使用させていただいてるという謙虚な姿勢が必要だと思います。
このほか、自作の日本画や工芸作品、またアクアリウムなども掲載しています。

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看羊録を読んで その2

看羊録を読むその2
(カンハンは、)朝鮮で藤堂高虎に捕らわれ愛媛に送られた。 



それから1598年大阪城に移されたところ、秀吉は既に7月17日に死んでいた。



わたしは、更に伏見に移された。日本軍は朝鮮から帰還していた。 

(以下日本の天孫降臨から秀吉に至る事柄を手短に記述あり。秀吉の事柄を抜粋して以下に) 



信長がその配下明智に殺されるや、秀吉が奴隷から身を起こし諸大名を攻め殺して自ら関白と称しました。



4大姓名のうち一つ姓を国王に請い受けようしたが、



王の側近らが、姓は許す訳には参りませんと言ったので、秀吉は怒って退き勝手に平氏を名乗りましたがその後また豊臣に改めました。 




地理や政治の仕組み、朝鮮出兵した大名の列挙など。


そして主だった大名についての記述が有る。





徳川家康
家康は怨念を心密かに含み一度でも反目する事があれば死地に追いやる。それ故に諸大名は彼の力を恐れて面従するが一人として心服する者はいない。




毛利輝元
元は百済の血筋と書いている。秀吉の命令で朝鮮攻めた時も捕虜扱いには哀れみがあったと。 




このほか、前田利家、上杉景勝、伊達政宗、最上秀秋、宇喜多秀家(やはり百済の血筋と)、島津義弘。 




豊臣秀吉について(かなり詳しく書かれているが、相当憎んでいた事をうかがえる) 



賊魁秀吉は尾張中村郷の人で有る。要望が醜く身体も短小で様子が猿の様であったので結局それを幼名とした



(以下、国内統一から朝鮮出兵まで記述(中略)) 



秀吉の性質は実に悪がしこい。専らくだらぬおどけごとで部下を以て遊び家康らを侮弄し又、権謀術数で諸将を制御した。





(私見)

敢えて書きませんでしたが、朝鮮からの捕虜らは、鼻を削がれたとの記述があります。削いだその数もおびただしい。



そう言えば、山上宗二も秀吉の逆鱗に触れ鼻や耳を削がれた後に打ち首になったそうです。



当時は、戦国時代とは言え残酷ですね~。一方で、高価な茶道具を賞翫する心の変化に、私は正直ついて行けません。