日本教会史(ジョアン・ロドリーゲス著 1620年頃記述)を読んで その3 - 藤庵の日記(茶の湯その他) teaceremonytouan

一椀のお茶を通して直心の交わりをいたしたいと願っています。手持ちの茶道具のほとんどは手づからのもので名物とか高価な道具はございません。丿貫の様な極侘びの茶です。お楽しみいただければ幸いです。ブログの記事には茶の湯の他日々の事など自ら記録として書き留めている事柄もございます。

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藤庵 teaceremonytouan

Author:藤庵 teaceremonytouan
茶の湯に関係することを主に書いてます。
「茶の湯は総合芸術」と言われますが、その意味は、僕はいろんな書画、陶芸工芸の貴重な作品をありがたく使用させていただいてるという謙虚な姿勢が必要だと思います。
このほか、自作の日本画や工芸作品、またアクアリウムなども掲載しています。

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日本教会史(ジョアン・ロドリーゲス著 1620年頃記述)を読んで その3

日本教会史 その三茶室に続く「書院」


「この茶の小家(茶室のこと)に隣り合って台所と客人の為に必要なものを用意しておく場所がある。


そしてそれと続いて接している一つの部屋すなわち奥座敷があって、時には茶を飲んだ後に親しく話し合うために客人を案内してくる(書院のことと思われる)


この奥座敷にはいろいろな見るべきもの贅沢道具があり、そこには小姓を呼ぶ為に呼び鈴すなわち小さな鈴が鐘がある(カンショウの事と思われる)。


茶が用意された時とかそれを飲む時間になった時とかにその鐘を鳴らすこと時折あって、林の中を観賞しながら歩いている客人は鐘の合図を聞いて部屋に入って行く。」


(訳者により注)
書院を指す。小座敷で茶を終わってから客を勝手から書院へ通し寛いで清談を交わした事が書かれている。


神屋宗湛日記にも天正18年10月20日聚楽屋敷の利休の茶に呼ばれた時も二畳で茶の湯を済ませた後書院で雑談をした事が会記に見える。他松屋会記(慶長13年2月小庵客となった松屋久重も同様「振る舞いは書院にて」。


利休は、こうして座を変えて飾りを見せたり馳走をしたりする趣向は、精神的な茶の湯が廃れる原因であると深く戒めていた。しかし、古田織部や小堀遠州らは、茶室と書院との間に更に鎖の間を設けて、変化に富む賑やかな茶会形式を推進した。




(私見)
いやーホント!面白い様に当時の様子がわかりますね♪
これを今に当てはめてみても、今の千家流の茶の湯も、織部や遠州など武家茶道の影響を大きく受けて利休の目指した「か・た・ち」から変容していったのが伺えます。
わたしとしては今一度、侘び茶」「侘び数寄者」を目指したいと思います。 <ーこれが言いたかった(笑)。