茶話指月集より 侘びの棗 - 藤庵の日記(茶の湯その他) teaceremonytouan

一椀のお茶を通して直心の交わりをいたしたいと願っています。手持ちの茶道具のほとんどは手づからのもので名物とか高価な道具はございません。丿貫の様な極侘びの茶です。お楽しみいただければ幸いです。ブログの記事には茶の湯の他日々の事など自ら記録として書き留めている事柄もございます。

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藤庵 teaceremonytouan

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茶の湯に関係することを主に書いてます。
「茶の湯は総合芸術」と言われますが、その意味は、僕はいろんな書画、陶芸工芸の貴重な作品をありがたく使用させていただいてるという謙虚な姿勢が必要だと思います。
このほか、自作の日本画や工芸作品、またアクアリウムなども掲載しています。

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茶話指月集より 侘びの棗



宗易は盛阿弥に「棗は漆のカスを混ぜてざっと塗れ、中次は念を入れて真に塗れ」と言った。
紀三や與三の棗は塗りが見事すぎて重苦しい。


●私見 
これによると、利休居士は、棗に金蒔絵などトンデモナイと言いそうで面白い!
前々から、侘び茶に金蒔絵の道具の数々の不釣り合いに違和感を感じていた僕にとって一筋の光明が見えた気がしました♪
古書を色々読んでいくと、紹鴎や利休の侘び茶の頃からすると、利休の没後直ぐに茶の湯が華美になって侘び茶から遠ざかって行った様に思えますね。
「ハレ」における日本人の特性かも知れません。江戸時代質素倹約を命じてもなかなか成功しなかったのも頷けるような気がします。


なお、利休存命の頃の漆芸について
漆の加飾技法は既に、室町時代にほぼ確立していたようです。
高台寺蒔絵などで検索すると、史実を調べることができます。
利休はこれらを承知の上で、上記のような意見を述べているとしたら、なおさら棗の侘びのあるべき姿が思い描けるように考えます。

そういえば、千家十職の中村宗哲の棗は軽いですね。どこかの豪華な加飾で有名な漆器のように、いろいろな粉末を漆にまぜて厚みのある下地をつくったり、布をはったりした上に、顔が映るほどに鏡のように磨き上げたりしてません(笑)。
現代の茶人が茶席でそういう絢爛豪華な金箔螺鈿の棗を拝見に出したりしてるのを見ると以前から、「これが侘びか?」と思ったりしたものでした。。。