
利休を評して次の様に
p174
侘び茶で求めるものは、本来俗世を離れ、隠遁の世界で得られる心の静けさであるべきである。しかし利休は信長や秀吉と言った権力者の茶頭として政治の中に身を置いた。
そして最期まで天下人秀吉との葛藤に心を乱している。その生き方は心の静けさとは程遠いものだった。利休の茶人としての生き方はあまりに紹鴎の侘びとはかけ離れていた。
●千家流の茶を習う自分としては既知の事ととは言え、認めたくないのだが、、、。まあ、切腹がそれを象徴しているだろうし、敢えて言えばそれにより利休が神格化され今日まで続いてきたのも事実と思います。
●読後感
私の従来からの私見ですが、高価な道具を賞翫する「道具茶」。これを侘び茶とは思えません。その点では紹鴎も決して唐物などの呪縛から逃れてはいないのも事実。